禅自問自答

なにかと考えています。

ノロビで単位を取った話

 

 

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どうも清水ですお久しぶりです。現在M3の作業真っ只中ですが、アホみたいにガルパンにハマってしまいました。

一日のうち三分の一はPixivでガルパンの漫画を漁っています。は?時間返せよ。

ガルパンって要するにウォーターボーイズを性転換させて陸にあげたアニメなんで、ウォーターボーイズと性転換と陸が嫌いじゃない人は見ておいて損はないと思います。は?ガルパンはいいぞ。

 

上記の内容は一切関係ありません。今回はレポート公開のコーナー第二弾です。

 

 

 

大学の精神分析学・心理学系の講義にて、「何か自分の好きなことをひとつ例に挙げて心のはたらきを分析してレポートにしてネ」という超ざっくりした最終課題が出されたので、私が常々視聴している心霊DVD(ノロビ)について書いてみましたら思いの他ウケたので優秀な成績をいただけました。なので、一部改変しつつこちらに公開しようかと思います(単位取れてなかったら公開しないつもりでした)。主に認識とフェイクドキュメンタリーの話で、ある意味メタ目線な内容なので苦手な方はご注意下さい。また、あまり怖い画像は貼らないようにしているんですけど、それでも文中に不快に思われるものが挿入されているかもしれません、苦手な方はご注意下さい。

最初普通に書いていったら8000文字近くになっちゃったんですけど、提出要項が4000文字前後だったので半分くらいにしてしまいました。なのでかなり読みやすいかとは思います。ではどうぞ!

 

 

「心霊DVD」に見る心理学的アプローチと心のはたらき

 

目次

 

1.はじめに

 

筆者はよくDVDレンタルショップに行き、様々な作品を借りて視聴するのが趣味である。洋画・邦画問わずSF作品やアニメ映画、ファンタジー等を中心に観るが、特にホラーを好んでおり、その中でも「心霊DVD」が人一倍好きである。事実、平均すると週に2~3本は消化していた程である。今回は、一般的にはあまり普及しておらず、存在を知られていないこの心霊DVDと、それに関連する事象について解析し、心理学と心のはたらきがどういった形で関わっているのか考察する。

 

2.「心霊DVD」とは

 

2-1.発祥と現在のシリーズ

心霊DVDは現在様々な会社から発売されている。もともとは1999年に株式会社ブロードウェイから発売された「ほんとにあった! 呪いのビデオ」が元祖であり、こちらが大ブレイクしたことにより他社が後追いで様々なシリーズを発売していった。ほんとにあった!呪いのビデオは現在69巻まで発売されており、12月に70巻が発売予定の超ロングセラーシリーズである。この呪いのビデオのほかにも、いる。シリーズ(十影堂エンターテイメント社)、封印映像シリーズ(アットエンターテイメント社)、怨霊映像シリーズ(マジカル社)等が有名である。上記の作品はそれぞれ10巻以上続いており、現在でも定期的に発売されていることから人気が窺える。これらの投稿映像集が総じて「心霊DVD」と称されている。

 

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↑画像は「ほんとにあった!呪いのビデオ」シリーズの最新作パッケージ。直接的な恐怖の構図を写していないあたりに強者の余裕が感じられる。

 

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 ↑画像はマジカル社「本当にあった投稿闇映像7」のパッケージ。ふざけてんのか。知名度のない心霊DVDはパッケージで客を引き付けなければレンタルされないので、少々過剰なものになりがちである。なお、パッケージは内容映像とは一切関係ないことが殆どである。

 

2-2.形式

心霊DVDとは、主に一般から投稿された「心霊現象を記録したとされる映像」を放送し、製作スタッフが検証・解説をする映像集である。しかしこれは実際に心霊現象を撮影したものではなく、フェイクのものを使用しており、心霊DVDのジャンルは言い換えれば「POV形式のフェイクドキュメンタリー映像作品」であると言える。POVとはPoint of viewの略称であり、ハンディカメラを用いた一人称視点で描かれる映像作品の総称である。また、フェイクドキュメンタリーとは、架空の人物や団体、虚構の事件や出来事に基づいて作られるドキュメンタリー風表現手法のことであり、「モックドキュメンタリー」「モキュメンタリー」と呼ばれることもある。POV形式のフェイクドキュメンタリー作品では、「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」や「パラノーマル・アクティビティ」、「ノロイ」等のホラー映画が有名である。

これらのフェイクドキュメンタリー作品と同じように、この「POVフェイクドキュメンタリー」といった手法の普及は1999年と比較的新しい。それにより、この作品方式はしばしば一般視聴者を「本物」や「ヤラセ」と勘違いさせてしまうことが多い。上に紹介したホラー映画作品は、最近でこそフェイクであると一般的に理解されているが、公開された直後は多くの一般視聴者が本物かどうか惑わされる事態となったようだ。これは、フェイクドキュメンタリーの性質上「この作品はフィクションです」と公言してしまうと作品そのものの面白味が欠けてしまうといった部分に起因している。

しかしながら、心霊DVDは「フェイクドキュメンタリー」であるということですら公言されない作品であり、実際市販で流通されている作品はどれも「本物である」と公言する形でパッケージングされている。これにより、視聴者によっては「本物である」と受け取る人も少なくはなく、実際にインターネットを使い調べると、フェイクドキュメンタリー形式が普及する以前の初期シリーズの頃はむしろ本物だと捉える人のほうが多くいたようであり、手法の普及や他社からの後追いシリーズが乱発されると同時にそういった考えを持つ人は徐々に減っていっている。

 

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↑白石晃士監督作品「ノロイ」のパッケージ。フェイクドキュメンタリーのお手本とも言える内容になっており、白石監督は過去にほんとにあった!呪いのビデオシリーズにも携わっている。今夏公開された貞子vs伽椰子の監督も務めている。大出世。

 

2-3.映像手法

映像の撮影手法は主に「POV形式」と「監視カメラ形式」の2種類である。前者は一般投稿者(とされる人)が構えたビデオカメラに偶然記録された心霊映像を用いたものであり、ビデオカメラを構えていた理由は「結婚式用のコメント」や「練習風景の撮影」など様々であり、これらの理由はDVDスタッフのナレーションによって視聴者に伝えられることが多い。後者の監視カメラ形式では、どこかに設置された監視カメラといった名目の映像に映った心霊現象を用いたものである。

また、映像に出現する心霊現象は主に「仕込み」と「合成」の2種類である。前者は映像を撮影する際、事前に霊として出る役の人に特殊メイク等を施して、あるいは超常現象の準備をして、タイミングを見計らい出現させる方式である。現在は合成技術の進歩に伴い、あまり主流ではない。後者は映像に直接霊を合成する手法である。有名な会社のシリーズでは自然に合成されていることが多く、しばしばインターネット上の掲示板では映像が「本物」であるかどうか議論されるほどであるが、無名会社の粗末な作品では、霊の姿が一般人とさほど変わらない、霊の動きがメカニカル、映像のブレと霊の動きが一致しない、そもそも映っているかどうかですら判別が不可能な映像などを用いることが少なくない。

 

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↑無名会社の粗末な作品。一生許さねぇからな。

 

2-4.まとめ

つまり心霊DVDとは、「ほんとにあった!呪いのビデオ」を発祥とする、一般人から投稿されてきた心霊映像を紹介するといったPOV形式のフェイクドキュメンタリー・ホラー作品である。なお、心霊現象が本物なのかどうか、そもそも霊は存在するのか、等は今回の話題から外れてしまうため割愛し、あくまで心霊DVDはフェイクであり、記録されている心霊現象は事実ではないということを前提に考えるものとする。

 

 

3.「心霊DVD」に見出す「心」のはたらき

 

さて、心霊DVD内ではどのような心理学的アプローチが為されているのだろうか?これについては、「映像作品内における心理学的アプローチ」と「映像作品と視聴者間に発生する心のはたらき」のふたつに分けることができるので、これらについて順を追って説明する。

 

3-1. 映像作品内における心理学的アプローチ

まず、映像作品内における心理学的アプローチについてだが、ここではフェイクドキュメンタリー形式であるということに注視して考察する。フェイクドキュメンタリー形式の作品は楽しみ方が人それぞれであるが、大きく分けて、フェイクであるということを知らないこと、フェイクであるということを知ること、またはフェイクであるという前提でその完成度を楽しむといった考え方がある。そして、心霊DVDは製作者が「フェイク」であることを「知らせない」ことに徹している作品なので、この「認識をさせない方法」によって視聴者ごとに知覚の差異が生じるのである。

特に、この中でフェイクドキュメンタリー独特のものは、「フェイクであるということを知ること」が楽しみ方の一つであることなのではないかと考える。一つの作品を、「フェイクではない」と考えていたものが、あるとき「フェイクである」と知覚することによって生まれる差異にこそ面白さがあるのではないだろうか。

 

3-2. 映像作品と視聴者間に発生する心のはたらき

例えば、幼少期にはテレビでこれ見よがしに心霊特番が流れ、TBS系列では「USO!?ジャパン」といったバラエテイ番組が毎週放送されていたが、これを視聴した子供のほとんどはこの内容を「本物である」と認識したのではないだろうか。事実、筆者である私もその一人である。もちろん、その映像が「意図的に作られたものである」と考えることはできない。しかし、今では当たり前のようにフェイクであると認識している上に、過去に見た映像をもう一度別の視点から比較することも含めて楽しむことが出来ている。フェイクであるかどうかといった部分の前後にあえて焦点を当てることによって、作品の見方が変わるという点が顕著にあらわれている。そしてこの「変化」こそ、「知覚とは動きを前提として位置づけられていること」であるのではないだろうか。これこそが、「映像作品と視聴者間に発生する心のはたらき」であると私は考える。

講義で扱ったアプローチに、「わたしたちは知るために動かなくてはならない。動くために知らなくてはならない。」といった、知覚と行為の相補性、表裏一体の関係について扱ったが、まさにこの点を利用しているのではないだろうか。行為とは経験と調査であると捉えると、この「心霊DVD」、つまり「知覚させないフェイクドキュメンタリー」は、人の成長、あるいはフェイクドキュメンタリーといったジャンルの発展に伴い知覚と行為の相補性によって楽しめるものとなっている、と考えることができる。知ることには能動的に動くことが含まれ、言い換えると「知覚」とは動くことを含むシステムである。この動くことを個人あるいは視聴者層全体の「経験」によって補い、「知覚」に至るのではないだろうか。

 

3-3.まとめ

「心霊DVD」とは「知覚させないフェイクドキュメンタリー」であり、それをフェイクドキュメンタリーだと「知覚」するには、相補性が作用する「行為」が必要である。この「行為」は調査などの能動的な「行為」、あるいは長い年月の間に培った知識やものの捉え方といった「経験」からなるものであり、これらによってフェイクであると「知覚」することができる。

この「知覚」の前後こそが「フェイクドキュメンタリー」の醍醐味であり、「知覚させない」ことを前提として製作されている心霊DVDはこの知覚の前後を最も体験しやすいフェイクドキュメンタリーであると筆者は考える。

 

4.おわりに

 

今回、この心霊DVDといったかなりニッチな部分について心理学的に考察したが、自分の好きな作品や趣味となっているものを様々なアプローチから検証し考察するといった行為により、より一層作品について深く知れることを再確認した。認識を改めて、一度考察し直して考えることに意味があるように感じたので、今回のように様々な作品を日常的に考察し直していきたい。

 

 

 

 

出典・参考

 

Wikipedia「ほんとにあった!_呪いのビデオ」

https://ja.wikipedia.org/wiki/ほんとにあった!_呪いのビデオ

 

Wikipedia「モキュメンタリー」

https://ja.wikipedia.org/wiki/モキュメンタリー

 

フェイクドキュメンタリーの教科書: リアリティのある“嘘"を描く映画表現 その歴史と撮影テクニック(白石晃士,2016)

 

 

 

…以上です。後半、提出要項に合わせてやたら学術的なことを書いていたけど、要するに「ノロビって本物だと信じて観る、本物か偽物か疑って観る、偽物だとわかってて観る、この3種類の楽しみ方があって面白いよね!」って感じです。さあ、みんなもノロビを観よう!(最近出たシリーズだとXXXってシリーズがめっちゃ面白いです)